フコイダンとフコキサンチンの通販TOP > つくづく思う。研究者で本当に良かった。 -大石博士闘病記-

大石博士闘病記

ことのはじまり

最初におかしいな?と思ったのは、2012年の4月頃のことでした。
咳がどうにも治まらないのです。
2月頃には咳が出ていましたが、寒い季節ということもあり、よくあることだと思い市販の風邪薬を飲む程度の対処しかしていませんでした。
しかし、2ヶ月も続く上に血痰まで出て来るという状況です。

あまりにしつこい咳でしたので、血痰が出ても不思議ではないと思っていたものの、このままでは肺炎をこじらせてしまうと考えて近くのクリニックで診察してもらうことにしたのです。

普段からスポーツで活動的に過ごしていたと言うこともあり、ある程度自信をもってはいたのですが、流石にもう若くはないなと観念したことを覚えています。

クリニックでは、ちょうどインフルエンザが流行っていたこともあり、インフルエンザでしょうからまずは様子を見ましょうということとなりました。
薬がなくなっている頃には良くなっているでしょうけれど、連休後に改めて診察しましょうと言われてクリニックを後にしたのです。

この時までは、インフルエンザをこじらせてしまったのだろうとしか思っておらず、他の病気の可能性は全く考えていませんでした。

フコイダンを通して、様々な飲用者様と話をし、症状についても知らないわけではありませんでした。
また、長年の研究テーマのひとつは、体内の炎症だと言うのに、自分の体の事になると客観的には見れないのですね。

インフルエンザではなかった

「インフルエンザでしょう」とのクリニックの医師の言葉は、いともたやすく覆されることとなりました。
連休が明けても、症状は軽くなる気配を一向に見せないのです。
足掛け2ヶ月半、そろそろ3ヶ月という長期間にわたる呼吸器の症状の数々は、クリニックで診察してもらうレベルを超えていると考え、最寄りの総合病院の呼吸器科を受診することにしました。

血液検査、画像検査とあっという間に時間は過ぎてゆきます。
検査を担当した医師に、レントゲンやCTをみる限りは、肺がんの可能性が最も高いので、直ちに精密検査を受ける必要があると言われました。

埼玉医科大学国際医療センターへの紹介状を渡されたので、直ぐにロビーから電話をすると、翌日の11時に受診が出来るとのことでその場で予約を取りました。

数々の症状や、迅速な医師の対応、どれをとっても悪性腫瘍であることに間違いないだろう。
悪性腫瘍であるという不安はもちろんあるが、一口に肺がんと言っても、様々な状況が考えられるわけで、具体的な病名や状況が気になってしようがない。
様々な思いが頭をよぎりますが、明日の検査で即日判明することは多分無いはずで、もう少し経たなければはっきりしたことが判らない、というのが一番の不安だった様に思います。

とりあえずは、自ら研究したAIFとフコイダンを飲んで翌日を待つこととしました。

埼玉医科大国際医療センター受診

指定の11時に、病院に行って紹介状とカルテを渡すものの、なかなか診察は始まりません。
診察室に呼ばれたのはおよそ50分も経過した頃だったと思います。
主治医は、カルテを見ながら採血とレントゲンを指示し、細胞診のため痰の採取も行いました。

ここまでの流れでは、どう考えても肺がんの可能性は否定出来ないというか、肺がん以外には何があるだろうか?という様な状況です。
やはり、結果が出るまでには1週間かかるらしい。

予想しては居たものの、さっさとハッキリしてくれれば色々考えようもあるのに、と言う埒もない考えが浮かんできます。

今までは、悪性腫瘍は研究対象として見ており、皮肉なのか幸いなのか、最新の研究開発も悪性腫瘍に向けた成分という状況でした。
まさか、自分をも研究対象にするような日が来るとは、全く思っていなかったのです。

その日にがんの確定診断は出なかったものの、あまりにも長期間にわたる咳や痰は、やはり肺炎を引き起こしていることが判明しました。

肺がんの症状か、肺炎のどちらが先かは判りませんが、少なくとも左肺は広範囲に炎症を伴っており、さらには、原因不明の食道狭窄まで起こる始末。

あまりにも咳で筋肉を収縮させる(咳をするときはからだに力が入りますよね?)からでは無いかと予測するものの、特段できることはないわけです。

研究しているAIFやPLGを飲もうにも、かなりの苦労を必要としました。
このような状況ですから、食事も減ってしまい、体重も70kgから−5kgの65kgという有り様でした。

今では笑い話ですが、カプセルを胃に流し込むのに、軽くジャンプして衝撃を与えながら飲んでいた程なのですね。

でも、週末にはスキーに行ったことを覚えています。
たった2本滑っただけで息が上がり、さすがにこれはちょっとマズイな……と思うくらいなら行かなければ良いわけですが、元気になった今だから、こんなことも書けるだけで、ちょっと反省しています。

5月22日:検査結果

翌週、再び埼玉医科大国際医療センターへ赴くと、小細胞肺がんで、胸部大動脈と大静脈への浸潤が認められると言われました。

何も知らないというのは恐ろしいもので、大動脈と大静脈に爆弾を抱えたまま、スキーをしていたわけです。
もちろん、すぐにどうなるものでも無いというのも事実ではあるのですが、今でも冷や汗モノです。

最も大事な血管に浸潤しているということは、下手に治療をすることが出来ないことを意味します。
血管には、柔軟性が大切ですが、放射線をあてるとどうしても柔軟性を失いますし、切除という手段が取れないことも意味します。
万一傷つけたり、破裂した場合には、生命維持の手段が無いのです。

もともと、小細胞肺がんは手術に向かないがんではあるのですが、これは発見時には両肺に腫瘍が見られることが多いと言う理由によります。
狭い範囲に固まっているのであれば、手術も出来るのですが、今回は、大動脈、大静脈への浸潤からやはり手術は出来ません。

翌日より入院を言い渡され、親族を呼ぶこととなりました。
肺がんの治療が翌日より始まるわけではないのですが、先に書いた食道の閉塞や肺炎の治療が優先されることと、平行して治療方針の検討も併せて行われたことによります。

入院の準備や親族への依頼をしていると、あっという間に入院となってしまいました。

ただ、先にも書いていたように、がんに侵されたと言う不安よりも、状況が確定しないことへの不安の方が大きかった私です。

周囲の皆の極度な緊張と不安がな様子とは逆に、状況が確定して、ある意味ホッとした感じはありました。
さらに、遠隔転移がなかったということが、最も嬉しい話でした。

遠隔転移さえなければ、病院での治療に、自分が開発したAIFを併用すれば、生還する可能性はきっとある。
そう思ったのです。

診断結果

小細胞肺癌であることなどをお伝えしたものの、幾つか漏れている部分もあったので、改めて診断書に書かれていた内容を転記いたします。

病名:小細胞肺癌
部位:左下葉
症状:食道狭窄、閉塞性肺炎

小細胞肺がんは、手術に向かないと書きましたが、これは増殖や転移が非常に早く起こることに依ります。
早ければ、発症から3ヶ月もすればもう戻っては来れない状況になってもおかしくない病気です。

しかし、従来の抗がん剤*や放射線への感受性が高いという特徴もあります。
*分子標的薬は向いていないことが知られています。
そのため、転移のない例では殆ど(約80%)が改善すると言われています。

もちろん、改善=完治では無いのですが、埼玉医科大国際医療センターでは改善例の1割〜2割が再発なく生存しているという説明を受けました。

5月23日:入院

取るものもとりあえず入院したところ、主治医より治療方針として、抗がん剤を行う旨を告げられ、抗がん剤のレジメンを見せられました。
もう少し検査か何かあるのだろうと勝手に考えていた予想を大きく裏切るほどの迅速さでした。

診察中の会話で、主治医の出身校で私が臨床試験に携わっていたことを知ると、私に十分な知識があることがわかったからか、主治医の話は非常に早いものでした。

私はといえば、提示されたレジメンの中から、迷うこと無くプラチナ製剤を選ぶこととしました。

副作用が強烈なことで有名なプラチナ製剤ではありますが、効くときはしっかり効くという認識があったからです。
さっそく翌24日からエトポシド、カルボプラチンを用いた化学療法を開始することになり、副作用予防措置として、吐き気止めの点滴も行いました。

5月24日:治療開始

24日から、急遽始まった化学療法ですが、まずは3クールの処方と決まりました。
3クール目からは放射線療法も併せて行うというスケジュールです。

この間も、治療と平行してAIFを飲用したものの、当初は食道が閉塞しており、考えた量を飲めることは少なかったと記憶しています。
先にも書いたように、飛んでみたり、カプセルを開けてみたり、考えられる方法は全てやったのでは無いかと思います。

加えて、フコイダン、PLG、たらようエキスと言った研究成果も併せて飲用しようとするも、流石に全部を連日摂取することは難しく、AIFとフコイダンを基準にして飲用を続けることとしました。

治療の途中に行われた検査では、腫瘍のサイズが想定以上の速度で縮小していることがわかり、やっていることに間違いは無いと自信を深めながら、治療を継続したことを覚えています。

7月28日:抗がん剤終了

当初予定していた3クールの抗がん剤は、7月28日滞り無く終了しました。
予想していた脱毛も、当然の様に起こり、そういう意味でも予定通りだったとは言えます。

ただ、それ以外の副作用が思ったより軽く済みました。AIFやフコイダンが功を奏したのか、吐き気止めの点滴が効いていたのかは判りませんが、開発者としてはAIFやフコイダンが後押ししてくれたのだと信じています。

放射線も、多少の皮膚症状は出たものの、非常に軽かったのが幸いでした。
実は、私はあまり皮膚が強い方ではないので、放射線は鬼門だと思っていたのです。

ただ、この後しばらくして、やはり鬼門だったことを思い知ることになります。

7月31日:経過報告と鬼門

7月31日に現状について聞かせてもらうと、結果は非常に良好で、画像は健康な人と変わらないほどだと言う。診断は明後日とのこと。

つづく8月2日の診断では、画像上の腫瘍はほとんど痕跡程度にまで縮小しているという嬉しい報告を受けました。
続けて予防的全脳照射と呼ばれる治療を8月14日まで行うことをすすめられたのです。

この治療は、非常に経過が良い患者に行うもので、脳への転移を予防することが出来るというものです。
原発となる腫瘍の治療がうまく行っていない場合には、転移の予防と言う意味を成さなくなるため、治療がうまく行っているという事になります。

実は、これが鬼門でした。
今までの治療で、さほど副作用が見られなかったことから安心していたのですが、見事なまでに重度の皮膚炎になってしまったのです。

照射範囲の首から上が、さながら火傷ということで、大変な状態でした。

今まで、人からの相談には「皮膚炎は掻いてはダメです」と言っていたのですが、これは掻かずにはおられないと言うか、どんなに我慢をしても寝ている時には掻いてしまうという有り様です。

掻かないということが、無理だということが、体験して初めて分かりました。

そこで、薬局から痒み止めのスプレーを買ってきて痒みを止め、折から研究していたE型コンドロイチン硫酸を原料にしたローションを自作して肌を保護するということを試すことにしました。

8月16日:治療終了

最後の放射線治療も終わり、これからは定期的な検査で経過を観察していくということになりました。
放射線も抗がん剤も非常に効果があり、画像上には癌はもう見えません。

さらに嬉しいことに、痒み止めスプレーと、E型コンドロイチンのローションの組み合わせはかなりの効果をあらわしました。
放射線を照射しながらなので、劇的には改善しませんが、当初のあの状態を考えれば天国です。

この調子ならば、放射線も終わった明日からは、大きく改善するだろうと一安心です。

治療内容

ここで、7月24日からの2ヶ月半にわたる治療の内容をまとめておきます。

治療内容
エトポシド+カルボプラチン 3クール
放射線分割照射 週5回*6週
予防的全脳照射 週5回*2週

治療期間 約2.5ヶ月

併用したもの

毎日継続
AIF(フコキサンチン)
フコイダン

不定期
PLG
たらようエキス

重度の皮膚炎へのケア
市販の痒み止め
E型コンドロイチン硫酸のローション

8月22日:治療が終わって

治療が終わって最初の検査を行いましたが、血液検査、レントゲンともに正常値でした。CTは9月上旬までお預けですが、この調子だったら心配する必要もないはずです。

治療が終わった日より、低下した免疫力を回復させる目的で、Hi-BM(シアロ糖タンパク質)の飲用を始めました。
週に2回の飲用ですが、基礎的なところから健康にしていくことが今後のためにも重要だと考えたのです。

また、AIFやフコイダン、Hi-BMはこれからも継続的に引用していくことで、再発を予防し、健康な生活を目指して生きたいと思っています。
(2017現在も継続して飲用しています)

終わりに

今までは、研究を通して飲用者の方々や病気と向き合って来ました。
出来れば、少しでも手助けになって欲しい、そういう気持ちで開発を続けて来たつもりでした。

もちろん、その思いに嘘はありませんが、体験して初めて分かる心情というものがありました。
今までは、皆様にご案内していたものを、自らが飲用することになるとは考えてもいませんでしたが、つくづく研究者で良かったと思っています。

病気になったことは、正直な話あまり良いことではありませんが、今回色々なことを通して、自らが歩んできた道に、改めて自信が持てたように思います。

これからも、少しでも皆様の手助けができるような製品を開発することに、残りの人生も捧げたいと思います。

大石一二三
(※本文は、大石博士が日毎にブログに書き綴られたものをそのまま掲載したものです。接続詞や語尾など一部を校正致しましたが、基本的には全て博士の記述のままとなっております。)


よくわかるフコイダン入門
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