お茶と健康のはなし

お茶がからだに良い、と言う話は日本人であれば一度くらいは聞いたことがあると思います。
がんの予防に良い、認知症の予防に良いなどの論文もいくつも見受けられます。

このページでも、お茶に含まれるカテキン(EGCG)ががんに良いとする研究をお届けしたことがあります。

こんなお茶ですが、健康に良いという考え方が広がり始めたのは、昨日や今日の話ではありません。
はたしていつごろから広まり始めたのでしょうか?

お茶の歴史

世界で一番古い記述は、中国最古の医学書と言われる「神農本草経」(*1)に書かれたものでしょう。
この書物は500年頃(およそ1,500年前)に書かれたものですが、内容は「神農」と呼ばれる伝説の人物が取りまとめたものを元にしていると言われています。

神農は、紀元前3,000年頃の人物と言われており、その伝説が本当であれば、今から5,000年も前からお茶は健康に良いとされて来たという事になります。

少々脱線しますが、吉川英治氏が書いた「三国志」桃園の巻にも、劉備が母のためにお茶を求めるくだりで、

また別な説には、一日に百草を嘗めつつ人間に食物を教えた神農はたびたび毒草にあたったが、茶を得てからこれを噛むとたちまち毒をけしたので、以来、秘愛せられたとも伝えられている。

と言う記述があります。まあ、これは小説なので文献という訳にはいきませんが、読まれたことがある方も多いのではないでしょうか。

さすがに、伝説が本当かどうかを確かめることは出来ないのですが、紀元前100年頃のものと考えられるお茶は発掘されています。
また、紀元前59年に書かれた僮約(*2)と言う後漢時代の物語にもお茶が出てきますので、はるか2000年以上前からお茶が健康に良いとされていた可能性は十分考えられます。

日本でのお茶の歴史

中国では古代からあったお茶ですが、日本には茶が自生していなかったこともあり、日本の歴史にお茶が登場するのは、平安時代まで待たなければなりません。
日本で最も古い記述は日本後記にある、815年に嵯峨天皇が党釈寺の大僧都永忠から献じられ茶を飲んだとするものです。(*3)
茶の木は日本に自生していなかったわけですから、この茶は永忠が中国から持ち帰って育てたものであると考えられています。

健康との関連に着目した場合、当時はまだ、お茶が健康に良いとする考え方は広がっていなかったと考えられます。
先ほど紹介した神農本草経は、本草経集注(*1)という形で平安時代の日本に伝来したことが分かっていますが、国内の文献にはお茶と健康に関する記述が残されていないのです。

そんなお茶が、日本に広まるのは鎌倉時代の僧、栄西の功績によります。
栄西は、茶に関するあらゆることを記した「喫茶養生記」と言う書物を書いただけでなく、茶の苗や種を中国から持ち帰り、広めたのです。

糖尿病やからだの麻痺から脚気まで、喫茶養生記に記された茶の効能

茶の文化を広めるだけでなく、茶が健康に良いと言うことを広く伝えたのも栄西です。
「喫茶養生記」には、茶の効能として以下のようなものを挙げています。(*4)(*5)

序文では

茶は養生の仙薬なり.延齢の妙術なり.山谷之を生ずれば其の地神霊なり.
<中略>
心の臓を建立するの方,茶を喫する是れ妙術なり.厥れ,心の臓弱きときは,則ち五臓皆病を生ず.
栄西と喫茶養生記(中山清治)より引用

とあり、健康長寿の薬であるだけでなく、心臓の健康に良いと説いています。

また、本文中では、「二日酔いに良い」「目が覚める」「元気が出る」「おしっこの出が良くなる」と言った記述もありますが、特に5つの病気に注目しています。
「飲水病」(糖尿病)
「中風で手足が思うように動かない病」(からだの麻痺)
「食べ物を受け付けない病」
「瘡の病」(できもの、腫れ物)
「脚気の病」(脚気)
これらの病を、茶や桑の葉を服用することで治療することが出来ると書いています。

喫茶養生記は、鎌倉時代(1211年)に書かれた書物です。800年以上も前に書かれたにも関わらず、ほぼ全ての効能が現代医学でも説明出来るものばかりというのには驚かされます。

この様に「お茶がからだに良い」と日本で言われる様になった始まりは、800年以上前の栄西にあると言えそうです。

こぼれ話

茶の歴史を遡ってゆくと、最澄(伝教大師)が中国から種を持ち帰って植えたことが日本での茶の歴史であると言う話を見ることがあります。
この話は、多分間違った言い伝えだろうと考えられます。
まず、お茶を伝えた中国と日本の交流は、最澄が生まれるよりもはるか前から行われていました。
遣隋使や遣唐使と言ったものが歴史の教科書に出てきますが、遣隋使は600年から始まったものです。

本文にあるように、紀元前のものが発掘されたり、物語に登場したりするお茶です。
神農本草経が書かれたのも500年頃と、遣隋使が始まる100年も前です。
誰ひとりとして、お茶を持ち帰った人がいないと考えるのは、さすがに無理があります。

また本文中で、日本後記の記述に出てくると説明した大僧都永忠は、中国で30年間修行した僧です。
嵯峨天皇とのお茶は、帰国してから10年後です。中国からの伝来品を定期的に仕入れたと考えるより、茶の木を自ら育てていたと考えるのが理にかなっていると思います。(*3)

となると、日本のお茶の始まりが最澄だと考えるのは、さすがに無理があるのではないかと思われるのです。

参考文献

(*1)神農本草経
しんのうほんぞうきょう
Shen-nung-pen-ts`ao-ching
現存最古の中国の本草 (薬物) 書。著者,成立年次ともに不詳であるが,後漢期頃に成立したと考えられる。 365品の薬物を上中下3類に分って,それぞれ名称,気味 (薬性) ,薬効などを記してある。 500年頃,陶弘景が伝本を校訂してさらに各医副品 365品を追加し『校訂神農本草経』3巻を著わし,のちにさらに自注を加えた『神農本草経集注』7巻を著わした。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典
コトバンクより抜粋
https://kotobank.jp/word/神農本草経-82413

(*2)どうやく【僮約 Tong yu?】
中国,後漢時代の詩人王褒の作品。王褒が成都の寡婦から1人の奴僕を買いとるという想定で契約文書になぞらえて作った押韻の戯文。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版
コトバンクより抜粋
https://kotobank.jp/word/僮約-104267

(*3)中国におけるお茶文化の展開とその日本への初期伝来(徐 静波)
京都大学学術情報リポジトリより
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/139407/1/edsy10_153.pdf

(*4)栄西と喫茶養生記(中山清治)
東京有明医療大学雑誌 Vol. 4:33-37,2012
https://www.tau.ac.jp/outreach/TAUjournal/2012/09-nakayama.pdf

(*5)公益財団法人研医会 所蔵資料 喫茶養生記
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=KNIK-00012