「がん」よもやま話2

前回の記事では、「がん」は人類誕生の時からある病気であること、また、古代エジプト時代の「がん」に関する記述が残されていることをお伝えしました。
では、がんに対する治療はどの様な歴史を辿ってきたのでしょうか。

古代エジプト時代のがん

現在に残されているもので、最も古い医学書だと考えられているのは、古代エジプト時代に書かれた「エドウィン・スミス・パピルス」と言う書物です。
実際に書かれたのは、紀元前1700年頃と考えられています。これ以外にも、複数の医学書(パピルス)が存在しますが、これらの医学書は、更に1000年、場合によっては2000年前のものを、書き写したものだろうと考えられています。

Wikipediaによると、パピルスに書かれていた内容においては、その当時「がん」は放置すべしと言う考え方だった様です。
しかし単に、技術がない、知識がないから放置していたというわけでは無さそうです。

埼玉県立大学理学療法学科 准教授 西原 賢の記述*によると、

〈第4症例、第 5 症例〉頭部外傷の症例(第 5 症例は頭蓋骨の骨折が伴う場合)
検査:傷部を触診して、でこぼこの形状を確かめる。患者は震え、耳や鼻から出血がある。頸にこわばりがあり。自分の両肩と胸が見えるまで動かせない。
診断:患者に“頭に裂け目ができ、傷が骨に達し、骨も割れている。耳や鼻から出血がある。頸にこわばりがある”と丁寧に伝えよ。
処置:巻き付けなくてもよいが、傷がひどい時期までは患部は支柱でしっかり固定する。基本姿勢は座位とする。2つの固定材でしっかり支える。後に頭にグリースを塗る。患者の頸部と両肩の緊張をおとして柔らかくさせる。
<中略>
第6症例では、 内容は上述の第4-5症例と類似していますが、頭蓋骨下の脳を覆っている膜に溜まった体液を取り除くべきだと書かれてあります。

上記は、先程も出てきたエドウィン・スミス・パピルスの内容なのですが、インフォームドコンセントだとか、頭蓋骨下の溜まった体液を取り除くと言った知識があるのですから、単なる技術不足と考えるのは流石に無理があります。
様々な体験から、放置をしたほうが患者に取ってよかったからなのでしょう。

とは言え、紀元前3000年とか4000年辺りですでにこんな知識があることに非常に驚かされます。

がん手術の起源

がんに対する治療法は、手術、放射線、抗がん剤を3大療法と呼びますが、がん手術の歴史は遥かに現代に近づきます。
古代エジプト時代から、下手をすれば5,000年近く後の話しです。

日本においては1760年生まれの医師、華岡青洲が先駆けだと言われています。
華岡青洲行ったのは「乳がん」の手術です。
1804年に行った、全身麻酔をかけた手術は世界でも最先端だったと考えられています。

もっとも、手術そのものは西欧では行われていた様で、和歌山県立医科大学附属病院 紀北分院のホームページ**の記述によると

青洲はドイツ人ハイステルの教科書で西欧では乳がんを摘出していることを知り

とあります。

先程の紀北分院のホームページによると、青州の手術成績は高く、生存期間の平均が2?3年もあったそうです。
最短8日、最長41年だそうですが、ゴッドハンドとでも言うべき医師だった様です。

手術技術の進化

その後、乳がん手術の技術は、ウィリアム・スチュワート・ハルステッドと言うアメリカ人の医師によって高められます。
その名前は、手術の技法である「ハルステッド法」の由来となっているほどです。
今とは異なり、根こそぎ取ってしまうような手法ではありますが、乳がんの根治手術を開発した人物がハルステッドです。
現代乳がん手術の基本は彼がパイオニアと言っても過言ではありません。

この様に、人類とがんの戦いは「記録に残っているだけでも」既に5,000年以上に渡るだけでなく、現代の医学にも通じるほどの技術や知識によって行われていたというのは、ちょっと驚きですね。

参考文献

*古代エジプトの医学  ―パピルスに残されている症例報告の記録からー
埼玉県立大学理学療法学科 准教授 西原 賢
http://www.spu.ac.jp/nocms/strawberry0008/25web/25-9-2.pdf

**和歌山県立医科大学附属病院 紀北分院 華岡青洲の紹介
http://www.wakayama-med.ac.jp/med/bun-in/seishu/operation.html